2013年7月4日木曜日

映画が鳴っている 映画レヴュー:『TRAIL』

渋谷ユーロスペースで波田野州平監督作品『TRAIL』という映画をみた。


男3人の旅が話の軸ではあるのだが、起承転結で表すことは難しい。なんと表現すればいいのだろうか。かき氷みたいに淡くて繊細な、夢のように不条理な、静かで詩的でリズムにのった、キッチュなコメディみたいに可笑しい、民話のように不思議な、、
言葉を繋げば繋ぐほどこの映画を言い表すのに不足を感じる。たしかに、繊細で不条理で詩的で可笑しくて不思議だと思ったはずなのに。たぶん、言葉の映画ではないのだ。もっと言葉の外側にある入り交じったなにか。

ぼくらが普段見慣れている映画には言葉で説明できる物語がある。「地球に隕石が降ってきてやばいので男たちがロケットにのって勇猛果敢に闘ってなんとかする話」とか。ショットとシーン、音楽は一つのストーリーをドラマチックに語るのために編集されて構成される。服の縫い目をわざわざ見せないように、それらは気付かれないようになっているけれども、パーツごとに物語という目的に沿った役割を負っている。それらは例えば、スピード感、笑い、恐怖、感涙などを演出しながら、物語を進めていく。(もちろん普段のぼくらは服を分解することもなければ、映画をパーツに切り分けることもしないのだけれども。)
一方で、『TRAIL』は部分に分けて語ることが難しい。それは音楽をいくら言葉で説明したても伝わらないあの感覚に似て、全体が絡み合ってひとつの感覚を作り上げている。全編を通して気持ちのいい音楽を聞いているような感覚だった。面白いのは、作品を反芻するたびに思い出すシーンが違うことだ。ふと気に入った曲を口ずさむだびに、歌うフレーズが違うように。

こんな言い方をすると、この映画を「物語映画」から切り分けていると思われるかもしれないけど、ぼくはそんなジャンル分けに大した意味はないと思っている。なぜならば『TRAIL』はそれでしか成し得ない映画体験だからだ。そしてこの映画が引き出す、一つの映画に「そのもの」として向き合う姿勢は、ぼくらの欲求さえもジャンル分けする商業映画への確かなカウンターとなるはずだ。

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