2013年9月20日金曜日

展覧会レヴュー:「成澤果穂 SUPER BLUE」

吉祥寺にあるギャラリー百想で成澤果穂の初個展「SUPER BULE」が9月18日から行われている。


Facebookページ:https://www.facebook.com/events/159284420938103/
ギャラリーHP:http://thetail.jp/archives/12107

作家から陽のあるうちに来た方がいいと言われ、夕方近くに現地にきた。奥まった通路を抜け、エントランスまで来ると秋の陽だまりで成澤の作品世界が待っていた。
青を基調にして水性ペンで紙に描かれたドローイングの下に、一回り大きな紙を重ねて、縁の外へはみ出しながら作品が徐々に大きく広がっていく。作品はさらに、波や植物のような規則性と不規則性を併せ持つリズムを保ちつつ、素材を木製のパネルとアクリル絵具に転じて、外へ外へと青色を広げていく。その広がりは一つの作品のみに留まらない。青色はすぐ脇のビニールシートに移り、2階へと鑑賞者を誘う。古民家を改装した板張りの2階展示スペースには青の世界が充満していた。紙、パネル、ビニール、ガラスに繰り広げられる成澤の青のリズムが、水中や森を見るときのような、満たされた感覚を呼び起こす。
窓から入り込んだ陽の光で、青が透明感を増している。なるほど、明るいうちにきて正解だった。ふと気付くのは、私が感じているリズムは無名の波や植物のそれとは微妙に異なっているということだ。薄いビニールに残る筆致や紙や板からはみ出していく線は作者の腕の動き、あるいはその時の心情を思わせ、その成澤が醸すリズムに、人は共振のような感覚を覚えるのではないだろうか。
一般的に絵画は、縁によって現実世界と作品世界を切り離すが、成澤の制作姿勢はこれとは逆にあるらしい。彼女の作品は、私たちの動きや話す言葉、考えることが一つの連なりの中にあることを思い出させてくれる。同時に、私たちは自分たちの行動や言語、思考の連続がどこに向かっているかを完璧には予知できない。ゆえに、それを「広がり」と呼ぶことも可能だろう。そう考えてもう一度絵を見ると、支持体を超えて繋がっていく成澤の手の動きに、このような「広がり」を思うこともできる。
このように考えると、作者自身の手帳にドローイングを施した作品が重要な意味をもっているように思える。日常的なメモや予定が書き込まれ、レシートや映画のチケットの半券が貼付けられた手帳の上から色を重ねては、また新たな紙を継ぎ足していく行為は、私たち自身がもつ連続性と広がりそのものである。同じように、拡張を繰り返しては連なっていく彼女のドローイングに視線を戻し、もう一度初めの自然のリズムを思うと、成澤の作家としての確かな個性と、その仕事の射程の長さを感じることできるはずだ。
展示室に入って2時間がたつ。ここまでが展示室に入ってから私の中にわき起こった感想だ。青の世界はまだまだ外へ広がっていく。
(後日改稿)